福井地方裁判所 昭和45年(わ)228号 判決 1971年2月16日
被告人 藤沢元明
昭七・一一・七生 土工
主文
被告人を懲役二年に処する。
未決勾留日数中三六〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
本件公訴事実中逃走の点については、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、公安委員会の運転免許をうけないで、昭和四四年九月一三日午後五時三〇分ころ、福井県今立郡池田町広瀬五四の三の一地籍内県道上において、小型乗用自動車(福井五は一七・六〇号)を運転し、
第二、前記自動車に顔見知りの人妻甲野乙子(当時二六年)を同乗させ走行中、前同日午後六時三〇分ごろ前記池田町魚見外回地籍山道において、同女を強姦しようと考え、同車を時速約二〇キロメートルに減速した。そのため同女が身の危険を感じ、車外に飛び降り逃げ出した。するとこれを追いかけ、同所山道西側山林内で同女を仰向けに倒し、その上にのしかかる等の暴行を加え、その反抗を抑圧した。そして同女を強いて姦淫しようとしたところ、たまたま通行人が来たため断念し、再び同女を右乗用車の助手席に乗せ約四〇〇メートル南方の同町魚見善面平地籍山中の砂利置場に赴き同所で停車し、その後部座席において前記暴行等により反抗を抑圧されている同女を強いて姦淫し
たものである。
(証拠の標目)(略)
(心神耗弱の主張に対する判断)
弁護人は、被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたと主張するのでこの点につき判断する。
(証拠略)によると次のことが認められる。
被告人は、軽度な軽愚の範疇に属するもので、知能は小学六年生位の普通児のそれに相当し、注意力、理解力等は稍不良で特に抽象的思考は劣り、判断力も浅薄で偏りがちである。しかし、社会、職業、結婚、家庭等の生活経験を通じ、諸々の知識を獲得し、ともかく社会、職業、生活には一応適応できる能力を有する。また、被告人は軽度の意思欠如型精神病質人であるが、一応社会人として著しい支障なく、思考、行動をなし得る能力を具えており、平常は責任能力者である。
そこで、被告人の本件当日の精神状態について検討する。被告人は、本件犯行一ヶ月前ごろから酒を乱飲していたこと、家計を無視して新車の購入をしたこと、時々大声を発したり踊るようなかつこうをしたり談笑がおさまらなかつたこと、および性欲が亢進し、身体の異常感覚を訴えていたことから、本件犯行当時、軽躁状態にあつたことが認められる。しかし、判示第二の事実からも明らかなように被告人は姦淫行為についても他の者をはばかるように自制心が一応あること、また右軽躁状態は事件後数日で恢復していることから、本件犯行当時軽躁状態にはあつたが、それは治癒に向い、治癒寸前の状態であり、極めて軽度のものであつた。
以上の事実によると、本件当時被告人は行為解発に際し、知的道徳的、意思的抑制作用は相当程度減弱していたが、自己の行為の是非善悪の弁識力および右弁識に従つて行動する能力が著しく減退していなかつたと認められるので、右弁護人の主張はこれを採用することができない。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は、道路交通法一一八条一項一号、六四条に該当する。その所定刑中懲役刑を選択する。判示第二の所為は包括して刑法一七七条前段に該当する。以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条、一〇条により重い判示第二の罪の刑に法定の加重をなす。そしてその刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処する。未決勾留については、同法二一条を適用して、その日数中三六〇日を右の刑に算入する。訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させる。
(強姦致傷の訴因につき強姦罪を認めるにとどめた理由)
検察官は判示第二の強姦の際「同女に約一週間の加療を要する背部、臀部、左肘関節部、左肩部の打撲擦過傷の傷害を負わせた」と主張するので判断する。
判示第二事実に関する(証拠略)によると次のことが認められる。
本件犯行後、甲野乙子が加療約一週間を要する背部、臀部、左肘関節部、左肩打撲過傷の傷害を負つていたことは明らかである。しかし、右受傷の時期を検討すると、被告人が本件現場である福井県今立郡池田町魚見外回地籍にさしかかり、自己の運転する自動車を時速約二〇キロメートルに減速したところ、右甲野が身の危険を感じ車外に飛びでたが、その際同女は頭を同車の後輪の方にして横に転倒しているから、この機会に、右の傷を負つたのではないかとの疑いが十分にある。そして、右の時点においては、被告人は、犯行場所に接近し自動車を右場所に停止すべく減速したにすぎず、いまだ、同女に対する暴行脅迫は何らなされていないから単に強姦の予備の段階であつて、実行の着手があつたと言えない。
従つて、右の各受傷は強姦の際の傷害ということはできないから、強姦を認めるにとどめた。
(一部無罪の理由)
本件公訴事実中逃走の点は
被告人は昭和四四年九月二六日から強姦致傷等の嫌疑を受け福井刑務所等において、未決勾留中、精神鑑定のため福井地方裁判所裁判官の発した鑑定留置状により、同年一〇月九日から福井市四ッ居一丁目一三の二六番地所在福井県立精神病院第二病棟に留置されていたが、同月一九日午後五時四〇分ころ、同病棟南側非常口から中庭を経て東側渡り廊下の屋根に登り屋根伝いに同病院東側敷地外に脱出したものである。
というのである。
(証拠略)によると次のことが認められる。即ち、被告人は、昭和四四年九月二六日から強姦致傷の嫌疑を受け福井刑務所等において未決勾留中、精神鑑定のため、福井地方裁判所裁判官の発した鑑定留置状により、同年一〇月九日から福井市四ッ居町一丁目一三の二六番地所在福井県立精神病院第二病棟に留置されていた。しかし、同月一九日午後五時四〇分ごろ、同病棟南側非常口から中庭を経て、東側渡り廊下の屋根に登り屋根伝いに同病院東側敷地外に脱出した。
ところで鑑定留置中の者が刑法九七条の「未決の囚人」と言えるためには、まず第一に右の者が勾留中に鑑定留置に付されたこと、第二には、右の者の留置中における身柄の処遇が勾留と同一程度の拘禁状態に置かれたものであることが必要というべきである。第一の要件については、右認定の事実から明らかであるので、以下第二の要件について検討する。
1、福井県立精神病院の概況
同精神病院の建物の配置は次のとおりである。即ち、正面玄関のある管理棟を起点として、それから北方に第一病棟、第二病棟、第三病棟の順に並んで建つている。そして右病棟等の西側に南方から診療棟、第五病棟、第六病棟、第七病棟の順に建つている。また管理棟の東側には南方からリクレーシヨンセンター、看護寄宿舎、第八病棟、および保護室の順に並んで建つている。そして、右各病棟はいずれも平屋建瓦葺木造であり、各病棟等は廊下で結ばれている。また病院敷地の境界上には何らの障壁はない。従つて、第一ないし三病棟に通じる東側廊下の外や管理棟南側に立つと、何らの障害もなく同病院の敷地外に出ることが可能である。
2、第二病棟の物的設備
次に本件当時、被告人が鑑定留置されていた第二病棟について検討すると、右1からも明らかなごとく、右病棟は、同病院の全建物のほぼ中央に位置し、間口九メートル、奥行六〇メートルの東西に長い建物で東側および西側は渡り廊下に接している。東側廊下への出入口は木製の二枚戸になつており、また西側廊下への出入口は鉄製の観音開き戸になつている。右の戸はいずれも両側から施錠できるようになっており、本件当時も施錠されていた。従つて、右戸口から外部に出ることはできない。次に右病棟南側の状況をみると、右病棟南側は第一病棟との間にある中庭に面し、中央部分はガラスの入つた鉄製の観音開き戸のある非常口となつておる。右非常口は右病棟内部から施錠できるようになつているが、普段は患者を中庭で運動させるため、午前六時三〇分ごろに鍵を開け、午後六時三〇分に鍵を締めることになつている。従つて右時間帯は、病棟から中庭へ自由に出入することができる状態にあつた。また同病棟南側及び北側には、全体に三段に区切つたガラスの窓が設けられている。しかし、施錠および格子の設備はなく、かつ、窓枠は成人男子が十分に通行可能な大きさであり、右窓はベツトと大差ない高さであるから、何時でもこの窓を通つて容易に中庭に降り立つことができる状態にある。以上のように第二病棟は極めて開放的な設備となつているが、これは、同病院が昭和三七、八年ごろ同病院長の考えにより、同病院に収容している患者に対し、警察や刑務所に留置されているのとは区別し、開放的な設備の中で治療を加えたいという人権尊重と加療上の効果を狙つたものであり、それまであつた各病棟の窓の鉄格子を取りはずしたのである。
3、第二病棟の人的設備等について
次に第二病棟は、新しい入院患者および興奮性の強い患者を収容している病棟であり本件当時右のような患者が四七名収容されていた。これに対し、右病棟には、右患者らの面倒をみる看護人は合計一二名で、午前八時三〇分から午後四時三〇分までの日勤々務には七名が配せられるが、午後四時三〇分から午前〇時三〇分までの準夜勤および午前〇時三〇分から午前八時三〇分までの深夜勤には各一名のみが配せられるにすぎない。看護人は勤務中、患者に対する投薬、治療等をほどこしかつ監督しているが、看護人控室へ入つて、患者の診療カルテの整理等の仕事をすることがあり、常に患者から目を離さずにいるということはできない。特に午後五時ないし六時三〇分の間は、準夜勤で看護人が一名であるうえに、患者らにとつては自由時間でありかつ、南側非常口はまだ開放されている状態にあるため、看護人の監視はきわめて不十分となるのも止むを得ない状態にある。
4、被告人に対する処置
福井県立精神病院が鑑定留置のため被告人の身柄を受けとつてから、被告人に対してとつた処置は次のとおりである。同病院長は自己の経験に徴し、被告人を施錠、格子設備等の完備した保護室に入れるとかえつて脱院するかもしれないから、普通の患者と同様の処遇がよいと考え、第二病棟に他の患者と一緒に収容することとし、第二病棟の看護長を通じ、同病棟の看護士らに鑑定嘱託のあつた身柄であるから動向について注意すべきことを指示した。そこで第二病棟としては、看護人の目が比較的良く届くように同病棟の中央に被告人のベツトを置いたが他は他の患者と同様の取り扱いをなし特別の処置はとらなかつた。
5、第一、二病棟間の中庭の状況
第一、二病棟間の中庭は、東西を渡り廊下で仕切られ、東側出入口には木製二枚戸が、西側出入口には鉄製半開戸があり、いずれも施錠がしてあり、通行はできない。しかし、東側廊下と第二病棟南側との接点附近をみると、右病棟には二段に区切られた窓があり、右窓の上部は廊下の屋根の庇に近接しているから、上段の窓に登れば庇に手をかけ、廊下の屋根に容易にのぼることができる。そうすれば、前記1記載のとおり、そこからは同病院の敷地外へ何らの障害もなく出ることが可能である。しかるに、本件当時右個所附近には何ら逃走防止の設備がなかつたものである。
6、第二病棟から管理棟へ
第二病棟から南へ、第一病棟、管理棟へと続くが、第一病棟は構造上、第二病棟と同じで、南北両側は三段に区切られた窓で施錠設備、格子はないから、何時でも開閉が自由である。また、南側非常口は鉄製観音開き戸で施錠できるが午前六時ないし午後六時三〇分は開放されている。従って第一病棟を通過することは比較的容易である。
次に管理棟北側の状況について。管理棟には西から東へ順に薬局、玄関ホール、売店、便所、更衣室、文書倉庫、物品倉庫および用務員室があり、そのうち薬局東側の窓、文書倉庫、物品倉庫の北側の各窓(以上はいずれも地上二、五メートル)および用務員室東側の廊下の北側窓(地上二メートル)にはいずれもガラス窓であるにもかかわらず格子の設備がない。もつとも右窓にはいずれも内側から差込みのねじ込錠の設備があるが、特に収容者の逃走の防止のために設置されたものではなく、従つて昼間は開放されていた場合もあり、右窓からの通行も不可能ではない。
以上の認定から明らかなように、被告人が留置されていた福井県立精神病院は物的にも人的にも勾留と同一程度の拘禁状態にする施設ではなく、被告人は勾留と同一程度の拘禁状態におかれていなかつたものと認められる。従つて被告人は本件当時「未決の囚人」でなかつたことになり、本件逃走の点は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し右の点につき無罪の言渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。